ダーツの歴史その8


『大航海時代の幕開け』

世間的に印象を悪くしてしまったBDO率いるダーツ業界ですっけ。この状況に我慢ならないグループが現れるわけ。彼らはダーツが印象悪いとかぜってー許せないからーつって。でもBDOにしてみればそんな事知ったこっちゃないわけ。なんつったってダーツの最高峰だから。だもんで現役の歴代全ワールドチャンピオン含む16人のプロプレイヤーがメーカーやマネージャーと団結して1992年にWDC/ワールドダーツカウンスルを設立してBDOから分離しちゃうーつって。こっちはこっちで新しくやっからよろしくーつって言うわけ。当然トップレベルの彼らが開催するイベントはテレビ放送もされて大当たり。逆に穴が空いたような形になったBDOは気に入らないから1993年の Embassyワールドダーツチャンピオンシップ の後、WDCプレイヤーはBDOのトーナメント出禁ねーつって。他のプレイヤーにも彼らとダーツをしたらチャリティーだろうと出禁にすっからーつって。BDOに忠誠を誓って戻ってくるなら許すけどーつって。もう脅迫に近いわけ。さらにBDOは大量の賞金をエサに新しいプレイヤーを集めて数年でトッププレイヤーの抜けた穴を埋めるどころか更に前よりレベルを上げる事に成功するわけ。もう王者の貫禄。ザ金の力。一方のWDCは脅迫まがいの件に対しては法廷に持ち込むものの時間とコストだけがかさむ始末。1994年からはBDOに対抗して同時期に WDCワールドダーツチャンピオンシップ を開催するも賞金総額はBDOの半分以下しか出せねーつって。だもんで新しいプレイヤーがなかなか集まらないうえブリストウなどの不調もあって全体的なレベルがあがらないわけ。もうBDOにぜんぜん敵わないの。でもね頑張る。すべてはダーツのために!つって。ちなみに1995年からBDOは Embassyワールド "プロフェッショナル" ダーツチャンピオンシップ つってた。文字数増えてた。ほんと負けず嫌いなのな。



『トムリンオーダー』

WDCとBDOの法廷問題ですっけ。これは双方にかかる時間とコストを考えたうえで1997年にトムリンオーダーという形で一応は和解するわけ。内容はともかくBDOの条件としてはBDOをイギリスの統治団体、WDFを世界の統治団体として認めろーつって。認めるならWDCの世界を連想させるワールドの部分はないよなーつって。これをのむ形でWDCはPDC/プロフェッショナルダーツコーポレイションと改名したわけ。もうね、どこまでBDOの征服欲が強いのかーて思うのだけれど。言うだけの力も当然あったんだろね。まぁそんな流れでWDCプレイヤーへの制裁は解かれて全てのプレイヤーが(ワールドチャンピオンシップ以外は)どのトーナメントでも自由に参加できることをBDOは受け入れたわけ。このワールドチャンピオンシップ以外はーてところが実はこのオーダーの要でありプレイヤーを縛る理由になるのだけれど。そもそもワールドチャンピオンシップってのは両団体において一番重要で最大のイベントなわけ。なんつったって経歴にチャンピオンとしてカウントされるのはこの大会の事だからね。だからどのプレイヤーもこのタイトルを取る事に必死になるわけ。でここからが本題。同時期に開催されるから物理的にも難しいのもあるけれど、どっちか一方の大会しかエントリーできないよーつってルールができたのがこの時。まぁこの大会に出る権利をとる事自体が難しいんだけれど、権利を得て出る意思を示した時点でそもそも他方のチャンピオンシップには出れないわけ。しかも出たら出たで上位者は来年のチャンピオンシップはもう一方にはでれないかんねーつって。なんつーか単純に言えばその団体におけるトッププレイヤーは移籍をするなーみたいな内容なわけ。だからWDF(JSFD)の代表になったプレイヤーは同年のPDCのイベントに出ないのはこれが理由のひとつなんじゃないかなーと。


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