ダーツの歴史その5


『ブリッスルボード現る』

時代をちょっと前後して。 この頃のダーツ事情としては解決したい問題がひとつあったわけ。 当時のダーツボードは主に "ニレの木" で作られていたのだけれど、乾燥している木だと堅いからーつって 矢が刺さりやすくするため ボードを水に浸していたのは おばあちゃんの知恵袋。 こりゃ楽に刺さるわーつって。 みんながそれを真似するようになってたわけ。 でも使い込むうちにボードが傷んでそこからさらに腐っちゃうわけ。 これがクサいのなんのって。 これをチャンスとみたのが 1919年に模型用粘土のメーカーとして創業した ノウドー/Nodor社。 もうね綴り的にはノドアって呼んでもいいけどね。 この名前は粘土が匂わない "No Odour" というセールスポイントから付けた名前なわけ。 でもこれ聞いたらノーダーでも良くね?て思うよね。 まぁとにかくノダーの売りは粘土なもんで 1923年に発売したのが粘土製のダーツボード。 匂わないからいいよーつって。 でもあまり売れないわけ。 仕方がないから 1年後には従来と変わらないニレ製ボードの製造を始めちゃったりして。 なんやかんやで 1928年にはブラスダーツまで作ってしまう始末。 ここまできたらもういっぱしのダーツメーカーだわーつって。 でもボードの匂い対策はできてないままなわけ。 そんな時に とあるバブのオーナーの フランクダッブス?/ Frank Dabbs(←読めねぇの)  が ちょっとアイデアがあんだけどーつって。 短いロープまとめて固定して成形すればいいんじゃねーつって。 それいけるかもーつって言ったのが1931年のお話。 これをきっかけに試行錯誤を重ねて生まれたのが 船舶用ロープに用いられる サイザル麻を圧縮して作られた ブリッスルボード。 あとは特許も申請したしねーつって。 これで準備万端だなーつって。 1935年に最初のブリッスルボードをナウオンセール。 こりゃ刺さりやすいうえに匂わないし最高のボードだなーつって売れる売れる。 もうウハウハ。 でもってこのボードの爆発的なヒットによりこれと同じ数字の並びが後に世界的な標準となるわけ。


いいないいな独占っていいな。 ダーツ昔ばなし。



『バレルはセットで売るべし』

ついでに軽く流したい話がバレル(ダーツ)に関して。 ボードはしっかり進化を果たしたわけだけど。 いやバレルも少なからず進化はしてるのだけれども。 それでもいざバレルを揃えようと思ったら金物屋に行くのが当たり前だった時代なわけ。 しかも全て単品で売られてるもんだから形も重さもバラバラ状態。 まぁ大体一緒だったらいいかーつって。 なんとなく同じ感じがするしーつって。 もうすげぇ曖昧なわけ。 さすが外人さんだよねーって言うと。 HAHAHAて笑うわけ。 別に褒めてないかんねそれ。 そこに登場したのがあの ユニコーンダーツ/ Unicorn Darts なわけ。 普段 ユニコーン ユニコーン てみんな言ってっけど あれな、実はブランド名だったのな。 会社名は ユニコーンプロダクツ/ Unicorn Products Ltd. つってた。 1937年設立。 イギリスでスポーツ用品の独占販売代理店してるんだって。 おめーまた独占かよって。 まぁそのプロダクツが初めて "形と重さを同じにした3本セット" のダーツを発売したのがユニコーンダーツの始まり。 シルバーコメット/ Silver Comet 電撃独占販売中つって。 結果、現在は PDCの公式ボード(ECLIPSE PRO) の提供企業として その地位を確立する事になるわけ。


ちなみに1972年に初めてタングステンのバレルをだしたのもユニコーン。



『独占ばっかさせらんねー』

ブリッスルボードの登場によって無くなるかと思われたニレ製ボード。 意外にもまだ需要があんだなーつって。 第二次世界大戦後の1945年にハリーキックスが退役恩給を使って作った会社は H.A.Kicks。 社長兼クリエイターのキックスは手塗りのボードの製作を始めるわけ。 くる日もくる日も手塗りの日々。 こりゃ疲れるわーつって1952年にグラフィックトランスファーを導入し数字とセグメントの印刷を開始。 すげぇ楽になったわーつって。 じゃあ新しいボードの開発開発つって。 紙をコイル状にしたボードを作ってみちゃうわけ。 ニレ製ボードとは違って水に浸す必要がないから その名も Keep Dry つって。 この紙製ボードのブランドは 1960年に Scotts Dartboards of Southend に売却。 息子二人も入ってきた事だし、これからの時代はやっぱブリッスルボードだかんねーつって。 ボードの特許期限が切れるやいなや 会社名を H.A.Kicks and Sons に変えて ブリッスルボードの販売を開始するわけ。 でもって1973年に組織したばかりのBDOと取引成立したのは大きな収穫。 BDOの公式ボードになったついでに じゃあまた会社名変えちゃおーつって。 妻の名前の Winifred Maud の頭3文字づつとって ウィンモー/ Winmau つって。 そんなこんなでBDOの歴史と共にウィンモーがあるのはこれが理由。 ちなみにBDO公式ボード(The Blade)は現在4代目のBlade4。 究極の弾かれないボードがうたい文句。 はやく究極に外れないボードを開発して欲しい。 これは腕の問題か。


色々あって現在 Nodor社 の傘下にあるのは歴史の妙



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