ダーツの歴史その4


『ダーツ存亡の危機迫る』

ガムリンボードの発売によって得点ルールが統一された理由もあってか 1900年代に突入した頃にはイギリスでダーツがちょっとしたブームとなるわけ。 こうなってくると パブと言ったらダーツ ダーツと言ったらバプの仲。 もう私たち ずっ友だかんねー なんつって互いにガッチリ肩組んじゃうわけ。 ある時そんな仲をも割こうとするひとつの事件が。 お上がくだした "パブでは運に左右されるゲームは禁止" すっからなんつー法案がそれなわけ。 実際問題としては 夜な夜な人の集まる場所での賭博行為を禁止しようとする働きなんじゃないかなーとは思うのだけれど。 ポーカーとかルーレットとか限定しちゃうと抜け道があるもんだから "運に" とかとりあえず大きく言ってみる。 で後から付け加えるように、あっそうそう ダーツもこれに入るから絶対やっちゃダメだかんねーつって。 もうすんごい後出しジャンケンなわけ。 そこで アトダシユルサナーイ て飛び入ったのが とあるパブのオーナー、その名もフットアナキン。 あのなーそもそもダーツは運じゃねーから実力だからーつって。 だから禁止されるの禁止ねーつって。 せめてちゃんとしたジャンケンしようぜーつって。 まぁとりあえずは駄目元で言ってみるわけ。 そんな流れもあって 1908年にアナキンは法廷の場に出頭を命じられるのだけれども。 行くのはいいけど一緒にダーツボードも持ってっていい?つって。 理由は見てのお楽しみーつって。 そして当日。 アナキンは判事の見守る中で3本のダーツを ダブルトップ(D20) に入れてガッツポーズしてみせるわけ。 これって運なのかなーつって。 これに驚いた判事は もう一回、もう一回やってみろ って言うわけ。 したっけまたもや3本のダーツをダブルトップにぶっこみ しれっとドヤ顔。 あー俺 すごい運もってるわーつって。 これを目の前で見た判事は判決で ダーツは運じゃなかった技術だわーつって。 これが後にダーツ史上でも有名な "フットアナキンの判決" として語り継がれる事になるわけ。 でもアナキンいわく。 ブルズアイ(ダブルブル) じゃなくてよかったわーつって。 ブルズアイに3本入れろ言われなくてよかったわーつって。 きっと言ってる。 きっと冷や汗かいてる。


まぁ運も狙わないと当たらないわけ。 宝くじも買わないと当たらないわけ。



『人が集まれば組織となる常』

無事に存亡の危機を乗り越えたダーツですっけ。 逆にお墨付きを頂いたわーつって。 飲みながらも手軽にできる(公認の)遊びのひとつとして イギリス人のハートをガッチリ掴んで離さないわけ。 そうなってくると遊びとは言っても ダーツに本気になる輩は一定数いるわけで。 遊ぶ人口が増えれば増えるだけ本気になる連中も増えるわけ。 そんな連中が集まれば当たり前のようにチームやクラブとしての活動が始まっちゃうのも自然な流れ。 場所場所によって数多くの組織がそれぞれ活動を始めちゃうわけ。 まぁ活動っていっても結局最後は誰が強いかってやってるだけなんだけども。 そんなこんなでどこの誰が強いかーなんつって言ってるうちに 第一次世界大戦(1914-18年)に突入ですよ。 そりゃダーツはもともと戦争がきっかけーつってるけれど。 このご時世 もう弓矢とかはお呼びでないわけ。 ぶっちゃけ鉛弾の時代なの。 ダーツまったく役に立たねーつって。 そもそも弓も持ってねーつって。 ひとまずお休み。 でもって戦争も終わって そろそろクラブ活動開始しちゃおーぜーつって。 どうせなら前より大きな組織を作って誰が一番か決めようぜーつって。 LVA / Licensed Victuallers Association により NDA / National Darts Association が1924年に設立されたわけ。 でもってNDAにより1927-28年シーズンのビッグイベントとしてオールロンドントーナメントを初開催。 総勢 1,010人のプレイヤーの中から サミーストーン が優勝しちゃうわけ。 以降 第二次世界大戦(1939-45年) なんかで一時中断はあったものの 1947年以降は現在でも開催されているという歴史あるトーナメントなわけ。 ちなみにこの時代の2大プレイヤーは ジムパイク と ジョーヒッチコック。 名前くらいはまぁ覚えておいてあげて。 俺はね まぁね 当然ね。 知らんがなー。


ちなみに Licensed Victuallers Association は直訳すると "酒類販売許可組合"。 ダーツまったく関係ねぇのな。



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