ダーツの歴史その6


『国際的なスポーツとして発進』

1970年代に突入した頃にイギリスダーツ界を牛耳っていたのはNDAGB/ナショナルダーツアソシエーションオヴグレートブリテンなわけ。さすが長い名前だわーつって。さすが長い名前は伊達じゃねーっつって。つってもメディアに出るのはザ・ピープルというチームの試合とビッグトーナメントが少しくらいなわけ。なので世間的にはまだまだ認知度低め。まだまだローカルスポーツなわけ。これをメジャースポーツ化したのが1973年に設立されたBDO/ブリティッシュダーツオーガニゼーション。BDOは手始めにウィンモーとの提携をはじめ多くのスポンサーを募ってテレビ放送と連携するわけ。その勢いで1976年には14ヵ国の代表と共にダーツの世界機構を構築するためWDF/ワールドダーツフェデレーションを設立。でもって全ての国々にあるダーツの公式的な国内統括団体であれば会員資格に制限はないとして会員を募るわけ。だもんで1977年に日本もこれに加入。日本もっていうかJSFDがですけど。そんな流れでいつの間にか日本、統治されちゃってた。まぁほんとに統治できているかどうかはまた別のお話だけれど。そんなこんなで規模的にはWDFが世界を牛耳る事になっちゃったもんだからスローラインまでの距離もちゃんと決めましょーつって。1977年の総会で当時もっともポピュラーだった"7フィート6インチ"と"8フィート"は一応スタンダードとは認めちゃうけど最終的には間をとって"7フィート9.1/4インチ"(約2.37m)が国際的な基準なーつって決めたわけ。そうそう当時は全部インチ基準。小数点以下は全部分数なわけ。1/2,1/4,1/8...と半分づつになるのは豆知識。だからね13.2インチボードとかはね実際存在しないわけ。これね今の時代とっても面倒くさいからWDFはそろそろメートル基準で決めればいいんじゃねーかと思うわけ。約とかいらない。とまぁそんないきさつもあってBDOとWDFはツーカーというかもはや世界を実質的に牛耳っているのはBDOなんじゃねーのかなーつって思うわけ。そんなBDOの時代がやってくるのはこれからのお話。



『電波のビッグウェーブに乗れ』

BDOはまず1977年にバーミンガムのパブで開催を始めた Butlinsグランドマスターズ をTV放送開始しちゃうわけ。同じく1977年から奇数年に WDFでワールドカップ をやるよーつってこれをTV放送。次にBDOは1978年からはダーツのワールドチャンピオンシップを思いつき、このトーナメントを制した者をその年のチャンピオンとして認定すっからーつって Embassyワールドダーツチャンピオンシップ を初開催。もちろんこれもTV放送で。1979年に行われた第2回目トーナメントの決勝戦は800万の視聴数があったもんだから次も次もーつって。BDOで1974年から開催してる Winmauワールドマスターズ もついでにTV放送開始しちゃえーつって。Bullseyeダーツチャンピオンシップも作っちゃう?つって。1979年を境に大小色々なダーツイベントがどんどん放送されるわけ。そんな効果もあってか1979年でイギリスのダーツ人口がざっくりマジプレイヤー200万人、ハマりプレイヤー300万人、ライトプレイヤーが200万人に達したわけ。ちなみに第1回Winmauワールドマスターズで誕生した初代プロのアランエバンスを始めエリックブリストウ、ジョンロー、ジョッキーウィルソン、レイトンリースなどのスターが誕生するのもこの時代。メジャーなトーナメントとしては Bullseyeダーツチャンピオンシップ は1981年に放送終了しちゃうけども Unipartブリティッシュプロフェッショナルチャンピオンシップ が放送開始。1984年に始まった MFIワールドマッチプレイ ではジョンローが対キース デラーでTV放送初ナインダートフィニッシュの歴史的快挙を達成するわけ。ちなみにローはその勢いで初代チャンピオンになったのは今ではいい昔話。きっとダーツ界の黄金期。ゴールドロジャーはさしずめエリックブリストウ。なんてな。


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