ダーツの歴史その3


『寒い夜だから明日を待ちわびて』

ついにはエリア分けによる得点を元に勝負を競うようになった腕くらべ。 そいつの強さが点数でわかるもんだから楽しさは倍増。 でも戦地で行われてたこの恒例のやりとりは戦場に行かないとできないわけ。 でもってイギリスの冬はとにかく寒いのだけれど。 いくら戦争が好きだからって時と場合は選ぶわけ。 そんなこんなで冬はお家にこもり気味。 みんな軽くヒキニート。 ニート暇だなーつって。 暇だからパブ(大衆居酒屋)行っちゃおーつって。 行ったら行ったでそこにいる連中は大体みんな同じ顔ぶれなわけ。 だってみんな暇だものね。 そんなこんなで戦友同士が集まったら自然とあの話になっちゃうわけで。 何なら今からちょっとやっちゃう? あの的ちゃんと持って帰ってるしーなんつって。 えーだって外寒いかんなーつって。 だったらここでどうよ?つって。 なぁマスターちょっと勝負したいんだけど ここでやっていい?つって。 いいけど何やんの?つって。 なぁに大した事じゃないよ ちょっとした弓矢の勝負つって。 え?つって。 え?って返して。 弓矢はないわーつって。 弓矢はないかーつって。 そんなやりとりの妥協点が "弓を使わず矢だけで勝負" って流れなわけ。当たり前だけど長い矢なんて扱いづらくてもう大変。 結局勝負どころじゃないわけ。 じゃあどうせ暇だし投げやすいように短い矢を作ってくっから また今度なーつって。 おめーら諦めるって選択肢を知らねーのなとは思うのだけれど。 そんなこんなでパブではいつしか恒例の勝負が行われるようになったわけ。 もうパブと言ったら勝負の場みたいな。 これがダーツと酒が切っても切れない関係である由縁であり、ダーツがパブ文化の象徴と言われている理由なわけ。 飲んで飲んで飲まれて投げて。 酒と泪と男とダーツ みたいな。 まぁ歴史的にもこんな関係ですからね。 ダーツが現在でも一般的にスポーツとして認められない風潮があったとしてもね。 それはそれで仕方ねーかなとも思うわけで。


でもこれだけは言っとく。 ダーツは遊びじゃねえって。



『ガムリンボード満を持して登場』

こうして屋外から屋内で行われるようになったダーツ(らしきもの)はパブ発信により徐々にイギリス各地へ広がりをみせるものの、的は天然の木と亀裂を利用したものだけに場所によって得点ルールが ばらばらな事が当たり前なわけ。 これが ここの ルール つって。 ある意味常連様が有利にできてんの。 そこに目を付けたのはイギリス人のブライアンガムリン(職業大工)。 あれ金になるなーて。 パターン化して大量生産したらすげぇ売れるなーて。 だったら話は早いほうがいいなーつって さっそくパブに売り込むわけ。 木を加工するならオラにまかせてーつって。 何故ならオラ 一流の大工(自称)だからーつって。 でもって考えるわけ。 とは言ってみたもののと。 実際問題として年輪の数はどうしようとか亀裂の本数をいくつにすんだとか色々パターンを考えちゃうわけ。 最初は無駄に職人魂に火がついて やたらエリア分けされた豪華な雰囲気漂う的を作ってみちゃったりして。 おー我ながらよくできたなーつって。 こりゃみんな驚くぞーつって。 でハッと気付くわけ。 これいっぱい作ってらんねーなって。 めんどくさいムリムリーつって。 で改めて考えるわけ。 もう職人魂とか言ってる場合じゃねぇなって。 もっとラフに生きようって。 まず年輪部分はめんどいからなるべく少なくしてーつって。 減らした分は亀裂部分で見た目をごまかせばーつって。 あとはデザイン的にもメリハリつけちゃえばーつって。 まぁざっくりこんなもんだろーつって。 できたできたーつって。 満を 持して 1896年 ナウオンセール。 こうしてダーツは現在のボードの原型と得点ルールが確立されたと言っても過言ではないわけ。 ダーツの世界感って 実は大工が創ってた。


案外ラフな感じで。 ウィーアーフリーダム。



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